サークルの紹介
ここでは本サークル「F.C.DIEGO」がどの様にして出来たかを紹介します.
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F.C.DIEGOの誕生・紹介
『たった一つのボールから始まった小さなサッカーサークルが,わずか結成4年目にして,日本の頂点までのぼりつめたーーー.』
こんな嘘のような,少年マンガの題材にでもなりそうなサクセスストーリーが,現実にあった.九州大学のサッカーサークルF.C.DIEGO(ディエゴ)のことである.1996年12月、茨城県鹿嶋市において,日本の草サッカーチームの頂点を決める『1996年度トヨタチャレンジカップ全国大会』が開催された.そして,その大会で「F.C.DIEGO」は,あの鹿島アントラーズのホームスタジアムである鹿島スタジアムで決勝を戦い,フジテレビのスポーツニュースや,各誌スポーツ新聞などですでに報道されたように,見事準優勝に輝き,名実ともに全国トップチームの仲間入りを果たしたのである.
果たして,ここに至るまでのストーリーは?そして,その過程において,どの様な苦労があったのか?
まず,『F.C.DIEGOとは,どんなサッカーチームであるか』と言うことから説明させていただこう.
F.C.DIEGOは,Jリーグが開幕し,爆発的ブームが巻き起こった1993年4月、法学部の当時3年の及川悟郎を中心に,2年生2名と,ポスターを見て集まってきた1年生有士によって結成されたというまさに手作りのチームである.
ちなみにチーム名は,アルゼンチンの生んだ世界サッカー界の至宝,ディエゴ・マラドーナの『ディエゴ』から付けられたのだという.(創立者の及川悟郎がただ好きだっただけという噂有り)
結成当初は,なかなかチームスタイルが確立しておらず,練習に3人しか来てなかったり,マネージャーと選手の比が1:1だったり(つまりそれだけ練習に来ている人が少ない)といった様々な苦労があったそうである.しかし,学園祭での成功を機に団結を深め,1994年1月目は総参加チーム128という大規模で開催された「福岡市 市長杯」において,初出場ながらベスト8まで勝ち進み,強豪としての第1歩を踏み出した.1994年春からは,社会人リーグに加盟.人数の増加に伴い,物資面,制度面なども整備され,徐々にサッカーチームとしてのスタイルも確立されてきた.
本職のサッカーにおいて,リーグ戦では毎年優勝を重ね,異例のスピードで2003年には県リーグ1部昇格.前出の市長杯では,年々参加チームが増加しているのも関わらず,1994,1995年ベスト8,1996年3位,1997年準優勝,1998年,2002年,2003年が3位といった全国的にレベルの高い福岡においても強豪チームとして注目される存在となった.
サッカー関係者もこの輝かしい経歴には,『すばらしいの一言につきる』とコメントしている.
そして,DIEGOの歴史に大きく刻み込まれているのが,先に述べた『トヨタチャレンジカップ』の全国大会準優勝である.この大会は草サッカーチームの全国ナンバー1を決める大会で,7月の福岡県予選・9月の九州大会を勝ち抜き,九州の代表として,続く12月の全国大会でその栄光を勝ち取ったのである.
現在,チームは残された最後の目標である,『福岡市 市長杯』の初制覇に向け練習に励んでいる.全国大会準優勝なら「福岡市の大会など楽勝」と思われがちだが,実は福岡市は全国的に見ても非常にレベルが高く決して油断は出来ない.
また,2000年3月から参加を始めた『毎日ジャパンカレッジカップ』も年々順位を上げており、2002年には大会制覇。
現在は,未だ九州大学の公認サークルではないが,九州大学の学部生を中心に,院生,他大学の学生,OB,社会人も参加しており,4チームの総勢60名ほどで活動している.